八戸市議会 2020-09-08 令和 2年 9月 定例会-09月08日-03号
心配になり、避難地域の知り合いのところを訪問させていただきました。その際、全く避難する様子もなく、この地区の方々は、たびたび起こる水害の経験から、個別の判断で避難しないということがうかがえました。 近くの馬淵川はあと1メートルぐらいで氾濫するような勢いでありました。昼12時ぐらいに避難所である館公民館に行ったところ、2名の避難者しかおらず、慣れの怖さというものを実感いたしました。
心配になり、避難地域の知り合いのところを訪問させていただきました。その際、全く避難する様子もなく、この地区の方々は、たびたび起こる水害の経験から、個別の判断で避難しないということがうかがえました。 近くの馬淵川はあと1メートルぐらいで氾濫するような勢いでありました。昼12時ぐらいに避難所である館公民館に行ったところ、2名の避難者しかおらず、慣れの怖さというものを実感いたしました。
あれを見れば、避難地域にも指定される。昼の時間に、いつの日というのは抜きにして、1カ月に1回ぐらい昼の時間に、郷土芸能のどこかの団体に舞をさせると、そういうふうな考えに至りませんか。というのは、日比谷公園では東京消防庁の音楽隊が来て昼の時間やっていますよね。
そういうふうになってくると、六ヶ所村も東通原発のときのいわゆる緊急時避難地域ということになるわけで、これは東通村も含めてそれ相当の人たちが青森、弘前という形で避難しなきゃならない事態が想定されているわけでございます。そうしますと、西側の279号線と同じく、私たち国道338号線、これも非常に今話しているとおり1本の基幹道路しかございません。
その中で避難地域、尻内とか大変な大雨で、水かさも大分上がっていたんですけれども、見ると、避難してきている人が随分少なかったのかなと、私、ちょっとそう思ったんですけれども、そのあたりについて何か所感ございますか。
その中で、避難地域は、今現在の公民館、克雪館を避難場所とし、地域の方が集まってきたとあります。昔から学校がある場所というのは大体高台にあって、水害等を最も受けにくい場所に学校が建っていました。今ある中央公民館、消防署は、昔中学校があった場所でした。したがって、この地域が唯一水害から免れて、地域の方が避難した場所でした。
東京電力福島第一原子力発電所の事故はいまだおさまらず、多くの被災者を生み、避難地域からいつふるさとに帰れるのか、子どもたちが学校の校庭でいつ自由に遊べるのか、全く見通しが立っていない状況です。この福島第一原子力発電所の事故は、想定を超えた自然災害による不可抗力の事故ではありません。
だけれども、避難指示ですから、村が避難指示を出したということは、恐らくその避難地域の人たちが全員避難指示をきちんと村も把握していなければならないと私は思うんです。私も正直言いまして、町内会の会長ですから、私も当初、3月11日に全戸を回りました。回ったけれども、「避難指示だから避難してください」と言っても避難しない人もおりました。これは私の普段のやはり教育の仕方のまずさでしょう。